名ギターリスト 故ジミー・マッカロック
2009年 02月 03日
ウイングスの歴代ギターリストではダントツだろう
ポール・マッカートニーがビートルズを脱退した後、30代半ばで、その頂点に達した1970年代中期。そのときのバンドがウイングスという名前だった。発表するアルバムやシングルはベストテンの常連だったし、そのライヴパフォーマンスは、ポール自身のビートルズ時代から現在までの中で最高のものだったに違いない。
ウイングスのメンバーも歴代最高だろう。特にリードギターのジミー・マッカロックの演奏に関して、評価しているファンは多いのではないだろうか?その中の1人が小生なのだが、彼の参加したアルバム「ヴィーナス・アンド・マース」と「スピード・オブ・サウンド」の収録曲の殆どをセットリストにした『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』という全米ツアーコンサートは最高のものだった。
薬物中毒で死んだらしい
ウイングスは、当時、レコードで聴く音よりライヴの音の方がヘヴィーだったと思う。それはジミー・マッカロックの演奏によるものが大きかったのではないだろうか?ポールのベースもリッケンバッカーを使用していたので、その音も明らかにカールヘフナーより重低音が強調されていた。
ドラムのジョー・イングリッシュが叩き出す音も力強かった。そんな素晴らしいリズムセクションの2人に引っ張られた?ジミー・マッカロックのギターは、レコードで聴く以上に素晴らしいフレーズを発していた。高いポジションも弾くことができるギブソンSGを自在に操っていた。
このPVは『ロックショウ』の中からだ。MCの間にギターをチューニングしているジミー。よく知らなかったが、映像をよく見ると、この曲は変則チューニングして弾いているようだが、実際はどうだったのだろう?
ジミー・マッカロック&ポール・マッカートニー
シャッフルリズムで演奏されるこの曲は、なかなかヘヴィーな感じだ。ポールのリッケンバッカーのゴリゴリ音も心地良い感じだ。ジミーの歌声を昔初めて聴いたときは、リンゴ・スターっぽいなと思ったものである。ミドルで入るジミーのギターソロは、とにかくカッコいい。
そんなジミーも1977年にウイングスを脱退、その後1979年には26歳の若さで亡くなってしまった。『バック・トゥ・ジ・エッグ』が発表された頃、ポールがジミーの死についてコメントしていたような記憶もある。
ジミーが脱退した後のウイングスの音は、それまでと全く違ったものになっていた。小生は、やっぱりジミーがいた頃のウイングスの音が一番好きだ。ポールの絶頂期に最強メンバーでのウイングスの音を聴くことのできた人達が、本当にうらやましいとしか今では言えない・・・・。
Jimmy McCulloch
Medicine Jar (McCulloch/ Allen) Wings Rockshow 1976.
MobileSamurai41
風が住む星 ココロのトビラ
ロック・バーの選曲員による作業記録
最も・・・充実していた時期ですよね。
仰るとおり・・・ヘヴィなロックンロール・サウンドが炸裂!!
彼の脱退は致し方なかったと今ならそう思えます。
まるで、板前修業の若者がいずれ、独立するように・・・
若いにも拘わらず・・・ブルースの魂も会得していたのかも
しれませんね。
それが、ポールの耳を惹いたのかも?(笑)
結果的に・・・ブルース(人生)の泥沼に溺れて酒とドラッグに身を持ち崩したとしたら、
皮肉といえば皮肉でしたよね!
湘南のJOHN LENNONです。
コメントいつも有難うございます。
小生もこの時期が最高のウイングスだったと思います。
1975年の来日中止、本当に残念でした。
法務省のお役人の決定で永遠に観ることができなくなりました。そのときの担当は誰だったんでしょうね。
話が飛んでしまいましたが、ジミーはウイングスのキャラではなかったと思いますね。もっと玄人受けする音楽をやりたかったのではないかと思っています。彼にとっては、売れるとか有名になるとかじゃなくて、自分のやりたい音楽を自由にやりたいっていうシンプルな理由だったから脱退したのだと思います。
ポールは小生の勝手な推定ですが、結構自分の音楽観を押し付けたのではないでしょうか?映画「レット・イット・ビー」のジョージに対する態度でそれが見え隠れしていましたね。