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1997年8月10日 ハンガリーGP その3
1997年8月10日 ハンガリーGP その3






シューマッハーをオーバーテイクするヒル


その2より



 決勝レースは晴天。ヒルのスタートも素晴らしく、出遅れたウィリアムズのヴィルヌーヴをすぐさま抜き、トップのシューマッハーも抜く勢いだった。ハンガロリンクのホームストレートは短いので、もう少し長かったらヒルがトップで第一コーナーに入って行ったかもしれない。

 スタート直後はシューもヒルも1分19秒台で周回していた。2台の間隔は1秒あるかないかで推移していた。しかし、真夏のハンガロリンク、グッドイヤー勢には厳しい状況だったようだ。当時、フェラーリもグッドイヤーを使用していた。どうやらハンガロリンクにはブリヂストンの方が合っていた。

 周回を重ねても、シューマッハーはペースは上がらず、逆にドンドンペースが落ちて行った。シューマッハーは1分23秒台まで落ちてきている。同じクルマのアーバインは、タイヤにブリスターが発生し、10周もしないうちにピットインしていた。ヒルは左右にクルマを振り、いつでもオーバーテイクできそうだ。3位以下のミカ・ハッキネン達もヒルの後ろに迫ってきた。

 シューマッハーを先頭に6位までのマクラーレン・クルサードまで数珠繋ぎ状態。シューマッハーのラインは大きく振れていて、いかにも走りにくそうだった。そして第11周目!ヒルのアロウズ・ヤマハは、ついにホームストレートでシューマッハーのスリップ・ストリームに入り、第一コーナー手前でインに入り見事にオーバーテイクした。

 プライベーター2流チームがワークス1流チームを見事にやっつけたシーンだ。さすがに世界チャンピオン、デイモン・ヒルだ。これまでのヒルの評価はウィリアムズという90年代最強のチームでクルマのおかげで勝てたと言われ続けてきた。それを見事に払拭したレースだったとも言える。小生も観ていて、思わずガッツポーズをしてしまった。当時はアンチ・シューマッハーだったので、ヒルのオーバーテイクは最高に気持ちが良かった。

 その後、ヒルは無難にレースをまとめ、アロウズ・ヤマハを優勝に導くかと思われた。しかし、残念なことに最終ラップ、何とギアボックスにトラブルが発生!低速ギアにスタックしてしまった。スピードの出ないアロウズ・ヤマハを必死に操るデイモン・ヒル。しかし、30秒後ろを走っていたヴィルヌーヴが追いついてきてしまった。

 ヒルはクルマを振って、抵抗するが焼け石に水。ヴィルヌーヴはヒルを追い越し1位でチェッカーを受けた。ヒルはスタックしたギアのまま何とかゴールまでたどり着き2位でチェッカーを受けた。





2位でチェッカーを受けるヒル


 小生の主観かもしれないが、セナが亡くなった後のF1で3つの指に入るレースだったと思う。このレースでヒルの評価が一段と上がったことは事実だ。小生もヒルの才能を改めて認識した次第だ。2流チームをここまでにした功績は素晴らしい。

 残念ながら、やはり2流チームは2流チームだ。完走して入賞できたレースは、このレースまでだった。クルマの耐久性がイマイチで、しょっちゅうレース中にトラブルが発生していた。しかし、その後予選でも上位に食い込むこともあり健闘していた。ヒルが出て行ったアロウズは元の2流チームに逆戻りだった。
 



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by qunny1130 | 2006-09-30 16:53 | F1 | Trackback | Comments(0)
1997年8月10日 ハンガリーGP その2
1997年8月10日 ハンガリーGP その2







表彰台 ヒル、ヴィルヌーヴ、ハーバートの3人


その1より



 苦戦を続けていたアロウズ・ヤマハのデイモン・ヒルだが、それでも徐々にクルマのポテンシャルは上昇していった。第9戦目のイギリスGPで初めて移籍後6位に入賞することができた。ヒルの開発能力が少しずつクルマに反映していったのは素人目にも明らかだった。

 シーズン当初、予選は下位に沈んでいることが多かったが、中盤以降は何とか中段まで上がってきた。このハンガリーGPでヒルは予選3位をゲットした。ハンガロリンクは、モナコに続く低速サーキットということもあり、エンジン性能差が出にくいコースである。またドライバーの腕も試されるコースでもあるだろう。

 また一番の武器はブリヂストンタイヤだった。このコースにぴったりはまったタイヤを供給してきた。予選ポール・ポジションはフェラーリのシューマッハー、2位はウィリアムズのヴィルヌーヴ、そして3位にヒルだった。ちなみに4位はマクラーレンのミカ・ハッキネン。決勝前のインタビューでヒルは「ここは勝ちに行くよ」と自信満々だった。

その3へ


 



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by qunny1130 | 2006-09-29 21:57 | F1 | Trackback | Comments(0)
1997年8月10日 ハンガリーGP その1
1997年8月10日 ハンガリーGP その1







決勝スタート直後 後方にプロスト中野信治 ミナルディ片山右京も見える



 デイモン・ヒルの素晴らしい走りが印象的だったレースだ。この年はウィリアムズとフェラーリの一騎打ち。ドライバーズポイントもヴィルヌーヴとシューマッハー、2人の戦いだった。一方、前年1996年ワールド・チャンピオンのデーモン・ヒルはウィリアムズからアロウズ・ヤマハに追われるように移籍していた。

 アロウズ・ヤマハもシーズン前半はクルマが満足に走れない状況で、開幕戦はあわや予選落ちかという悲惨な状態だった。さすがのヒルでもクルマがそんな状態では満足な成績は残せていなかった。

 1997年はブリヂストンが20年ぶりにF1に参戦した年でもあり、タイヤ戦争が勃発した年でもあった。アロウズはブリヂストンタイヤを使用しているチームで、前年からブリヂストンのテストチームにクルマを提供していたのもアロウズだった。したがって本来はブリヂストン勢のエースチームと言えたのだが、その座はプロストに譲っていた。

その2へ

 



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by qunny1130 | 2006-09-28 22:17 | F1 | Trackback | Comments(0)
F-1日本グランプリ1977 その3
F-1日本グランプリ1977 その3



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ひどい事故だった



その2より


 当時のTBSのスポーツ中継で流されていた曲がオープニングに使われている。当時、野球やボクシングで流れていた曲と同じだ。ハッキリいってメチャダサだ。10年後のフジテレビのF1オープニング曲の「TRUTH」とは比較にならない。アナウンサーのしゃべり方も前時代的な感じで淡々としている。

 ピットレポーターは今でもおなじみの森脇さんも登場している。声も今と全然変わらない。日本人ドライバーはスポット参戦の3人だ。高橋国光がティレル、星野一義と高原敬武が幻の純国産チームのコジマから。タイヤではブリヂストンもスポット参戦していた。ブリヂストンは、その後1997年までF1に参戦することは無かった。

 スターティング・グリッドは現在と並び方が違っている。ポール・ポジションと2位の位置がほとんど同じ位置なのだ。これではポール・ポジションの優位性が全く無いに等しい。ポール・ポジションは、ロータスのマリオ・アンドレッティ、2位はマクラーレンのジェームス・ハント、3位がブラバムのジョン・ワトソン。当時、ロータスもブラバムも名門チームだった。残念ながら両チームとも90年代前半で姿を消してしまった。11位にはコジマの星野一義だ。スポットでこの順位は凄いと思う。

 優勝はマクラーレンのジェームス・ハントのブッチギリだった。2位はフェラーリのカルロス・ロイテマン、3位がティレルのパトリック・デュパイエだった。ジェームス・ハントは表彰式を辞退。何となく後味の良くない終わり方だった。ティレルも80年代中盤くらいまでは名門プライベーターだった。優勝も多かったし、表彰台の常連だったチームだ。日本勢は高橋国光が9位、星野が11位、高原はレース早々リタイアしている。

 当時の出場メンバーで80年代後半からのF1ブームまで残っていたのは、リカルド・パトレーゼただ1人だけだ。更に何名かは事故で亡くなったり、病気で亡くなっている。来年2007年は30年ぶりに富士スピードウェイでF1が開催される。当時のような超高速サーキットレイアウトではないが、コース幅も拡がり、鈴鹿よりはオーバーテイクシーンは見られるかもしれない。でも、来年だけにして再来年は再び鈴鹿に日本GPを戻して欲しい。




 F1アドミニストレーション(FOA)のバーニー・エクレストン会長は30日、第16戦中国GPが開催される上海で取材に応じ、「日本GP開催場所として、富士スピードウェイと2007年からの5年契約を結んでいる」と確認した。さらに「1か国、1GPの原則は厳密に実施される」と語り、富士との契約が終了する11年までは鈴鹿でのF1開催の可能性がきわめて薄いことを明らかにした。







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by qunny1130 | 2006-09-27 22:13 | F1 | Trackback | Comments(6)
F-1日本グランプリ1977 その2
F-1日本グランプリ1977 その2




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旧コース 現在とは明らかに違う


その1より



 現在のような最終シケインのないコースレイアウトは凄いと思う。当時の最終コーナーはきつい右コーナーだ。そこを立ち上がってホームストレートへ向かうのは観ていて気持ちが良い。30度バンクは残念ながら1974年に廃止にされてしまっていたので、F1マシンが走ることもなかった。上の写真では右側がバンクコースだ。新サーキットも30度バンク復活を期待していたのだが・・・。

 レースは死傷者が出て騒然としているのにもかかわらず続行された。アナウンサーも気にしていないような口ぶりだった。このDVDではボカシが入っているが、放送時には怪我をして倒れている人の映像がハッキリ映っていた。ジル・ヴィルヌーヴのフェラーリは木っ端微塵状態で、よく生きていたと思うくらいのクラッシュだった。

 ジルのフェラーリと共にリタイアしたロニー・ピーターソンのタイレル6輪(ティレル)は、レース中もコース脇に置きっ放しの状態。非常に危険だ。現在だと速やかに撤去作業が行われ、二次被害が起こらないように細心の注意が払われている。当時、ずっと置いてあるタイレルを見て、他のクルマがぶつかってこないのだろうか?と心配になったものだ。


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by qunny1130 | 2006-09-26 21:45 | F1 | Trackback | Comments(0)
F-1日本グランプリ1977 その1
F-1日本グランプリ1977 その1




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解説書も何も無い




 1977年(昭和52年)に開催されたF1日本グランプリだ。当時の中継テレビ局はTBS。生中継で放送してくれた記憶があるが、レースが終わっていないのに途中で放送を終了してしまった。いい加減な中継だった。まるで昔の巨人戦の中継だった。中途半端に中継するなら、編集して最後まで放送して欲しかった。そんな泥縄的な放送をしてしまったせいで、F1が日本に根付く良い機会も失ってしまった。

 しかし、当時の富士スピードウェイはメチャクチャ危ないサーキットだった。超高速サーキットという特性は個人的には好きだが、現在と比較してみると本当に全ての面で危険だったということが画面から見て取れる。まず路面は継ぎ接ぎだらけで非常にバンピーな感じだ。舗装があまりにも汚い。第一コーナーの路面の状態が危ないくらいデコボコしているように見える。

 長いストレートで最高速を出した後にフルブレーキングで入ってくる第一コーナーが、あんなひどい状態だったとは驚きだ。第一コーナー先には、昔使われていたバンクも見える。グラベルも無いし、エスケープゾーンも無い。観客席もフェンスも低く、クルマが飛び込んだら大惨事だったに違いない。

 ジル・ヴィルヌーヴとロニー・ピーターソンが接触して、ジルのフェラーリが宙を舞って飛び込んだのが第一コーナー先の場所だ。恐ろしいほど危ないのは一目瞭然なので立ち入り禁止になっていた。事故はそこで起きてしまった。


その2へ

 

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by qunny1130 | 2006-09-25 21:59 | F1 | Trackback | Comments(0)
鈴鹿 日本GP 1989年(平成元年)10月22日
鈴鹿 日本GP 1989年(平成元年)10月22日





シケイン接触直後




 セナは第14戦スペインGPまで有効ポイント60点(優勝6回)、プロストは76ポイント(優勝4回)。当時は現在と違い、有効ポイント制を採用していたので、総獲得ポイント数とは計算値が異なる。ただ、セナがリタイアが5回もあったことは大きな痛手だった。ポルトガルGPでは、マンセルに明らかに故意と思われるぶつけられ方をしてリタイアしていた。一方のプロストのリタイアは2回だけだったし、優勝できなくても確実に入賞していた。

 予選でセナは、1分38秒041というタイムを出し1位を獲得。プロストはセナより1.73秒も離され、1分39秒771というタイムで2位。同じクルマで、これだけのタイム差だ。セッティングが違うのだろうが、明らかにセナの方が速いことは間違いない。この年はセナはポール・ポジション13回を記録していた。プロストは2回。これを見てもどちらが速いかは一目瞭然だ。

 当時の鈴鹿はレコードラインが偶数列で、ポール・ポジションのセナには不利だった。決勝スタートで、やはり心配されたように出遅れてしまった。前に出たらプロストは粘ってしまうのは分かりきっていたので、セナはスタートで何としてでも前に出たかっただろうと思う。しかし、結果は失敗。2番手に落ちたまま、レースは続いていく。

 前に出れば明らかにセナの方が速い。1秒から2秒間隔でセナはプロストを追っている。タイヤ交換で両者ピットに入っても順位は変わらなかった。他のマシンの状況はと言うと、フェラーリ2台は既にトラブルでリタイア。ロータスの中嶋もトラブルでリタイア。半分のマシンが途中でリタイアしているサバイバルレースだった。

 プロストとセナは相変わらず0.5秒から2秒前後の間隔で1-2状態。プロストがミスれば抜けるのは間違いない。しかし、さすがミスはしないし、オーバーテイクさせられるようなラインも走らないプロスト。セナはどう思い、どう料理しようと考えていたのであろうか?

 47周目、ついにセナはシケインでプロストのインにねじこむ!
やはり強引過ぎたか?プロストはインを閉める。当然のことながら接触。2台ともその状態でシケインを直進してしまった。プロストのマシンは跳ねるように動きながら停止した。そのまま2台ともエンジンは止まってしまったようだ。

 プロストは直ちにマシンから降りたのだが、セナはマーシャルに押しがけの指示をしている。マーシャルがセナのマシンを押すとエンジンは息を吹き返した。そして、そのままコースに戻りレースを続行した。後々よくビデオを見ると、もしプロストが、もっとステアリングを右に切っていたら、恐らくセナのマシンはサスペンションにも影響を受け、完全に復帰はできなかったかもしれない。

 セナはフロントウィングを欠損してしまったが、すごい速さで1周しピットイン、すぐさま新しいフロントウィングを付け、コース上に戻っていった。その間にベネトンのアレッサンドロ・ナンニーニに1位を奪われてしまった。それでもセナは51周目に、そのナンニーニを例のシケインでパス。ナンニーニはタイヤスモークを上げていた。無理にブロックしてプロストのように当たってしまうのを避けたようだ。結局それは正しい判断だったが、ナンニーニは相当怒っていたようだ。

 セナは1位でチェッカーを受けたが、ガッツポーズも小さかった。裁定は失格。理由はシケイン不通過ということだった。小生は観ていてプロストの狡猾さにセナがしてやられたと思った。ヨーロッパでは、この接触が大きな問題になり、セナが糾弾された。日本では逆にプロストの陰謀とされ、セナを擁護する意見が主流をしめた。

 ハッキリ言って、当時のプロストは大大大嫌いだった。スポーツに政治を持ち込み、マスコミを利用してセナやチームにプレッシャーをかける方法。政治大国のフランスの人間らしい方法だと思った。それが遠まわしにポルトガルGPでマンセルに特攻をさせたと思うし、今もそうに違いないと思う。コース上じゃないところで相手を翻弄する方法。それに動揺したセナ。
 
 勝手な結果論かもしれないが、プロストがスポーツに政治を持ち込まず、良い意味で正々堂々と勝負していたら、絶対にセナが1989年もチャンピオンだったと思う。1989年の日本GPは本当に後味が悪かった。




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Lifevideo
日々夢幻のごとく
by qunny1130 | 2006-09-24 12:31 | アイルトン・セナ | Trackback | Comments(4)
ブルーノ・セナ (Bruno Senna Lalli)
ブルーノ・セナ (Bruno Senna Lalli)


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雰囲気が似ている!やっぱりオーバーラップして見てしまう


 セナの甥っ子。セナのお姉さんのビビアーノさんの息子。セナが亡くなって、カートを禁じられていたが、20歳になり再度モータースポーツの世界へ。

 以下、公式サイトより

 本名:Bruno Senna Lalli
 生年月日:1983年10月15日
 出身:ブラジル サンパウロ
 身長:180cm
 体重:69Kg




やっぱり似ている



 日本のヘルメットメーカーのアライもスポンサードしている。現在、イギリスF3に参戦中。叔父のセナも昔ブッチギリでチャンピオンになったカテゴリーだ。ブルーノのランキングは現在3位。残りのレースを考えるとチャンピオンは難しくなった。

 




セナのロータス98Tルノー 母親と


 ヘルメットを取った顔は亡くなった父親にも似ている。ビビアーノさんは、弟のセナを亡くした後、夫も交通事故で亡くしている。こんな不幸が続くことってあるのだろうか?不幸が続くことはよくある話だが、あまりにも気の毒過ぎるって当時は思ったものだ。

 ブルーノ・セナも早ければ来年、遅くても再来年にはF1に上がってくるに違いない。ピケの息子やケケの息子とサイド・バイ・サイドで競う光景を早く見てみたい。
 



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by qunny1130 | 2006-09-23 21:47 | アイルトン・セナ | Trackback | Comments(2)
ミクシィ燃え尽き症候群
ミクシィ燃え尽き症候群



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ミクシィのロゴ



 「ミクシィ症候群」と云う新しい言葉を知っている方も多いかもしれない。現在500万人以上の会員数を誇るソーシャル・ネットワーキング サービスのこと。小生が誘われて入ったのは、まだ会員数が3万人位の頃だった。

 それは2年くらい前だったような気がする?覚えていないが、誘われても登録だけして、しばらくは何もしていなかったが、友達は何人か誘っていた。プレミアム会員で登録していたが、それを解約しようとして、ミクシィ自体を解約してしまうアホなこともやってしまい、逆に招待した人に招待してもらい、再び会員となった。

 ミクシィで商売の勧誘をしたり、日記を書いたり、その日記にコメントを返したり、いろいろな使い方が各々あると思う。小生が2年ほど見てきた中で感じたことも多々あった。このシステムは比較的、個人を特定しやすいと思うし、意識的に個人を明らかにしている人も多い。実名を使用している人も結構多い。個人的な意見だが、正直それは決して良いことではないと思う。

 ミクシィの新語で「マイミク」という言葉もあるが、これは自分のプロフィールに知人や友人やミクシィで知り合った特定の人を登録した人たちのことを言う。小生はリアルな友達やミクシィとは全く関係のない人間関係の登録の方が多い。

 またむやみに登録を増やしたくないので、こちらからは滅多に声をかけて登録することはない。登録する人は信用ができる方だけにしている。また登録しても、その後何のコミュニケーションの無い人も申し訳ないが、こちらから切っている。もちろん、逆に切られるのも全然構わない。「来る人拒まず、去る人追わず」というスタンスだ。

 前置きが長くなってしまったが、俗に言う「ミクシィ症候群」という言葉はよく聞く。これはミクシィに依存し過ぎてしまう状態のことを言うらしい。ミクシィが気になって仕方がない精神状態に陥り、自分の日記に返事が無いとか日記は毎日書かなければならないとかの強迫観念とか・・・。こうなると結構深入りし始めているとのことだ。要は自然体でなくなってしまい、妙な義務感で更新したりレスを付けてしまう。

 ここまでならまだ正常範囲かもしれない。「ミクシィ症候群」以上に「ミクシィ燃え尽き症候群」という言葉を付与したいのだが、ミクシィに深入りし過ぎて、毎日レスしたり日記するのを自分で強制的に義務化してしまい、だんだん自分自身を追い詰めると、そのストレスで最後は風船がはじけるようにリセットしてしまうのだ。。

 最終的にはミクシィを止めてしまう。突然消えたりする人も多く、きちんとメッセージを送ってきて止める人のほうが少ない。メッセージを送る余裕も無くなってしまうのだろう。そこまで自分を追い詰める必要は無いと外野から見ていれば分かるが、本人たちは必死なので分からない。明らかに病んでいると思う。

 小生がそういう人にかかわったのが、だいたい記憶だと10人くらいいる。小生のマイミクが現在40人なので、比率を考えると決して少なくない数字だ。ある人は自分から小生にマイミク申請してきたのだが、「何か疲れました」というメッセージでミクシィを止めたようだ。小生の場合、全て先方から申請してきた人だ。

 リアル友でもバーチャル友でも合わない人は合わないと思う。リアルな関係なら逃げることはできないが、このようなシステムの場合、一度リセットしてやり直すことも可能だ。まるでゲーム感覚だ。それだけ現実と虚構を区別できない人が増えてしまっているのだろう。

 お気楽にいった方が疲れなくて、逆に長続きする。小生も疲れているときは何もしないし、ブログの更新できないときは何日もほったらかしにしている。無理は全てにおいて良くない。このミクシィの出来事で思ったことは、人生の縮図とも言えるだろう。良い意味で浅い方が良いと思う。執着や深入りはできるなら避けた方が賢明かと思う。「気楽」が一番良い。




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by qunny1130 | 2006-09-22 22:32 | ネット関連 | Trackback | Comments(4)
鈴鹿 日本GP 1988年(昭和63年)10月30日
鈴鹿 日本GP 1988年(昭和63年)10月30日





決勝スタートの瞬間



 スタートの瞬間、何と!ポール・ポジションのセナのマクラーレンMP4/4がストール!手を上げてセナは後続に知らせている!後続車は巧みにマクラーレンMP4/4を避け、幸い追突されることもなかった。また下り坂というコース特性も運良く味方して、エンジンは息を吹き返した。しかし、セナは10番手以降に落ちてしまった。

 スタート時、予選6番手のロータス・ホンダの中嶋もセナと同じようにエンジン・ストール!しかし、中嶋のエンジンも息を吹き返すことができた。順位は大幅に下げ、確か20番手くらいまで下がってしまったと記憶している。ロータスも88年頃までは、それなりなチームだったが、やはりセナが移籍した途端に勝てなくなった。ピケでも立て直すことはできなかったようだ。

 この頃の出走台数は26台。現在は22台だから4台2チーム分多かった。当時はアロウズ、ミナルディ、ティレルも速かったレースもあった。4強のフェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズ、ロータスの他、ベネトンも強くなってきた年だった。老舗チームのマーチ(レイトンハウス)も健在だった。思い出すと懐かしい。

 予選2番手のプロストは、セナのストールもありトップをキープしていた。途中でマーチに抜かされたが、すぐに挽回した。その後、セナはドンドン順位を上げて、11周目に3位にまで復活してきた。2位のマーチのカペリにもすぐ迫っていく勢いだ。更にその前にはプロストも見えてきていた。

 雨がぱらついてきたが、セナだけはペースは変わらない。2位のカペリを抜いたのが20周目。後は数秒前を行くプロストのみだ。もう1人中嶋のペースも速かった!バンバンとオーバーテイクしていくロータス100T。マンセルはとピケぶつかり、既にリタイアしている。
 
 しかし、セナがプロストをストレートエンドの第一コーナーでオーバーテイクするシーンは凄かった!プロストも必死に抵抗していたが、セナはドリフトさせながらプロストをパスしていった。このシーンはTV中継でヘリコプターから撮られたのだが、セナのマシンが滑っているのが本当に良く分かる。

 その後、セナはプロストを突き放し優勝した。ファイナルラップ途中でガッツポーズしていたセナ。チェッカー後、ヘルメットのバイザーからみえた顔は号泣しているように見えた。当時の中継で解説していた今宮さんも泣いていた。他のドライバーと違って、セナがチャンピオンを決めたシーンは印象的だ。ただ一番チャンピオン決定シーンらしいと言えば、やはり1988年しかないだろう。

 中嶋は残念ながら7位だった。レース後のインタビューでは苦笑いしていた。ストールが無かったら、もしかしたら表彰台も可能だったかもしれない。鈴木亜久里も初めて参戦したレースだった。何回かスピンしていたが、何とか完走できた。インタビューも後年のような横柄な感じは全く無く、初々しい感じさえした。





表彰台のセナ
  


 1988年と言えば、まだ本田宗一郎氏も健在だった頃だ。鈴鹿はHONDAの本拠地。そこで1-2フィニッシュ。本当に劇的なレースだった。セナが普通にスタートしていれば、こんな伝説に残るような言われ方をしなかったかもしれない。それだけ凄かったレースだ。




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テルミンとJAZZ
by qunny1130 | 2006-09-21 23:27 | アイルトン・セナ | Trackback | Comments(10)
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