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カテゴリ:アイルトン・セナ( 16 )
Senna The Best
Senna The Best



1994年5月1日没




「Senna The Best」

それ以上でもそれ以下でもない。



 


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by qunny1130 | 2013-05-01 12:31 | アイルトン・セナ | Comments(0)
手記アイルトン・セナ 2 再投稿
手記アイルトン・セナ 2 再投稿



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手記アイルトン・セナ 2



 昨日は1993年(平成5年)のレースの手記だったが、この本はその前年1992年(平成4年)のレースをセナ自身のペンで綴ったものだ。1992年は第二期ホンダ最後の年だった。この年のマクラーレンは、その前年に引き続きV12気筒を使用していた。

 この年はシーズン開幕からウイリアムズ・ルノーの圧倒的な強さで始まり、ナイジェル・マンセル開幕5連勝を記録している。一方のマクラーレンは明らかに劣っているのが目に見えて分かるくらいだった。セナの影も薄くなりがちだった。また、ミハエル・シューマッハーが台頭してきた年でもあった。

 ホンダV12ルノーV10のパワー争いも面白くはあったが、シャシー性能の違いは雲泥の差とも言えた。アクティブ・サスペンションセミオートマチック・ミッションの性能差は明らかだ。マクラーレンがベネトンにも追い回されるシーンもあったほどだ。

 そんな大苦戦の1992年のセナの手記は、やはり読み手にも伝わってくる。ホンダ撤退の正式発表の心境なども語ってくれている。その中でも特筆なのが、5月31日モナコGPだマンセルとセナの終盤の攻防もF1の歴史の中に強く残るものだ。当時のビデオも当然保管しているが、今見ても二人の争いは素晴らしいものがある。また、ホンダ最後の勝利は最終戦オーストラリアGPアデレードでのゲルハルト・ベルガーだった。

 そんな苦戦の1992年の全レースの他、とても寂しいことだが、1994年1戦目ブラジルGP2戦目パシフィックGP(英田サーキット)の手記が記されている。しかし、3戦目のサンマリノGPの手記はない・・・。




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アイルトン・セナ
by qunny1130 | 2011-08-25 22:25 | アイルトン・セナ | Comments(0)
エクレストン「セナの死は“F1にとって良かった”」
エクレストン「セナの死は“F1にとって良かった”」



以下、ニュースより


 F1最高権威のバーニー・エクレストンはブラジルで、「セナの死は最終的には“F1にとって良かった”。アイルトンは運がなかったんだ」と爆弾発言をしている。







セナ最後の日本、1994年4月 英田サーキット リタイア直後



 このバーニー・エクレストンの発言は気になってしまう。悪意がある発言でないと思いたいが、この報道の発言が事実だとすると、物議を醸し出すことは間違いないだろう。

 小生は悪意があるとは思いたくない。セナが亡くなってから、F1マシンの安全性が飛躍的に上がり、更にサーキットの安全性も飛躍的に上がったからだ。

 しかし、その反面、高速サーキットが改悪され、かつての名コーナーが、つまらないシケインになってしまった弊害もあった(イモラのタンブレロなど)。

 セナ没後のF1は、それ以前のF1とは、明らかに一線を画すものだ。数々の規制がオーバーテイクを困難にしてしまい、ピットストップをメインとしたチームストラテジーに重きが置かれてしまっている。

 安全性から見れば、セナの死は「F1にとって良かった」かもしれないが、レースの楽しみは「F1にとって良かった」とは絶対に言えないと思う。

 30年近くF1を観ているファンとして言えば、やはりセナを超えるドライバーは出ていない。シューマッハーも凄いとは思ったが、「何か」が欠けていた。

 セナが生きていたら、歴史も今とは変わっていたことは間違いない。結論を言ってしまうと、やはり「セナの死は“F1にとって良くなかった”」。
 

 





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by qunny1130 | 2009-10-20 22:42 | アイルトン・セナ | Comments(6)
Williams FW16 その3
Williams FW16 その3






英田サーキット リタイア直後




Williams FW16 その2より



 結局セナ最後の日本のレースは、1994年4月17日となってしまった。そのレースを現地で生で観戦することができたファンがうらやましいなと率直に思う。本来だったら、その年の秋に鈴鹿でセナを観ることができたのだろうが、それは永遠に叶わなかった。






英田サーキット リタイア直後だが、寂しげな表情だ




 神経質なマシンと言われたFW16。ブラジルGPでの珍しいスピンも実際はプログラムのバグか機械的なトラブルだったという。明らかに熟成不足だったが、そんな状況でもデイモン・ヒルを遥かに上回るパフォーマンスを演じていた。

 セナとヒルの予選でのタイムを比較してみた。

1.ブラジルGP
  セナ:1'15"962
  ヒル:1'17"554

2.パシフィックGP
  セナ:1'10"218
  ヒル:1'10"771

3.サンマリノGP
  セナ:1'21"548
  ヒル:1'22"168


 デイモン・ヒルだって遅くないドライバーだ。過小評価されていたフシはあったが、小生は後年のアロウズ・ヤマハでの走りをみれば、少なくともここ15年間ではシューマッハーに次ぐドライバーだと思う。そんなヒルを大きく引き離したタイムを刻んだアイルトン・セナ。同じマシンゆえに、その実力をうかがい知ることができる。
 

 


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by qunny1130 | 2008-11-14 20:02 | アイルトン・セナ | Comments(2)
Williams FW16 その2
Williams FW16 その2






リヤウイングが低速サーキット用




Williams FW16 その1より



 1994年4月17日決勝、たった数秒でパシフィックGPでのセナはリタイアに追い込まれてしまった。第1コーナー、たった260mのレースであった。PPのセナはスタートで出遅れてしまい、ベネトン・シューマッハーに第1コーナーを取られてしまった!

 ハッキリしたことは覚えていないが、ベネトンは違法トラクションコントロールを密かにシステムに忍ばせていたという。そうなれば当然スタートは、ベネトンに有利に決まっている。シューマッハーがこのことを知っていたかは、今となっては藪の中だろうが、明らかにベネトンは不当で汚い手を使っていた。






ニコラ・ラリーニに横から突っ込まれて万事休す



 バックストレートでの最高速度の比較をすると、デイモン・ヒルのウイリアムズFW16は300km/hだった。一方のベネトンB194は280km/h強。この差は大きい。仮にセナが2位キープでレースが進行していたとすると、バックストレートエンドでシューマッハーをかわすことは可能だったかもしれない。

 この日は初めての生中継放送だったが、いきなりセナがハッキネンにぶつけられてリタイアしてしまったので、スイッチを切ってしまった。後日、当時再放送していた WOWOW で、このレースを録画し、今でも大切に保管してある。

 その日の夕方、フジテレビのニュースでは、セナが怒鳴ってハッキネンを怒っている場面が放送された。ハッキネンは、まるで先生に怒られている生徒のように下を向いたままだった。

 しかし、フォーメーションラップが、オフィシャルカー先導なんて本当にバカげていた。あんな遅いスピードじゃ、1周する間にタイヤが冷えてしまうのは当然の結果だ。バカげたルールもセナに向かい風となってしまった・・・。


Williams FW16 その3へ続く
  

 


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by qunny1130 | 2008-11-13 21:55 | アイルトン・セナ | Comments(0)
Williams FW16 その1
Williams FW16 その1









 1994年、セナが3つのレースだけしか走らなかったマシン。マルボーロカラーのマクラーレンは栄光のマシンだった。そして、このロスマンズカラーで新たな歴史を刻むはずだった。

 第1戦目のブラジルGP、突然の単独スピン、これはショックが大きかった。セナがあんな形でスピンしてマシンを止めてしまうことを観たことが無かったからだ。このスピンが1994年のセナの始まりだったと言える。






スピン直後のセナ



 燃料補給でシューマッハーと同時に入ったセナは、シューマッハーに先を越されてしまった。結局、シューマッハー・ベネトンの不正が後日発覚し、1秒間の給油量が多くなるようにしていたらしい。その他の不正も暴かれた。

 「たられば」だが、ベネトンが不正をしなければ、普通にセナが優勝していたに違いない。神経質なマシンと呼ばれてはいたが、デイモン・ヒルも十分速かった。とは言え、セナより1秒近く遅かったが・・・。


Williams FW16 その2へ続く
 

 


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by qunny1130 | 2008-11-12 23:37 | アイルトン・セナ | Comments(4)
5月1日 再度合掌
5月1日 再度合掌


 毎年5月1日が来ると、「タンブレロの悲劇」を思い出してしまう・・・。タンブレロを直進してしまう直前のシューマッハーベネトンのオンボードカメラで撮影されたセナのウイリアムズは、マシン下部より激しい火花が見えていた。

 この火花も今のF1で見ることは無い。1994年の途中からフラットボトムは規制され、火花を散らして疾走するマシンは無くなった。毎年この時期はサンマリノGPが開催されていたが、もう2年連続で行われていない。改修工事は終わったのだろうか・・・?

 セナの勇姿と事故を後世に語り継ぐためにも、早い時期のサンマリノGPの復活を願う。


Ayrton Senna da Silva FOREVER!






以下、以前の記事より






スタート前の表情・・・



 日本時間で1994年5月2日午前3時前に34歳の生涯を閉じてしまった・・・・。イモラの悪夢は決して忘れることができない週末だろう。あれから早や14年が経過してしまった。小生にとってはそんな昔には到底思えない。未だにセナが生きていたら・・・と思ってばかりいる人間だ。

 




4/30のラッツェンバーガーの事故を見ていたセナ



 現在のF1ファンでセナを知らない人は、考えようによっては不幸かもしれない。あれだけの予選でのパフォーマンス、決勝での劣ったクルマでの走りなど、今では、まず観ることのでいないシーンばかり浮かんでくる。強いて言えば、一番近い走りをしたのが、2006年の最終戦、ブラジルGPでのシューマッハーの決勝での走りだろうか・・・。

 1994年のシーズンは見慣れないブルーのロスマンズカラーだった。開幕当初からファンとして違和感があった。赤のレーシングスーツのイメージが強かったからだ。ブラジルGPでも珍しく単独スピンでリタイア。2戦目の英田でもハッキネンにオカマを掘られてリタイア。

 そして第3戦目だ。1日目にバリチェロが事故で入院、2日目にラッツェンバーガーが事故死、そして3日目だった。今更かもしれないが、2日目の事故でグランプリは中止するべきだっただろう。安全性を再確認して、再度別の時期に開催するべきだった。興行者たちは儲けることを優先させてしまったのだ。

 失った命や時間は決して戻すことはできない。セナが今でも生きているということは、セナを思う人の中で生き続けているということだ。死んだ子供の歳を数えても仕方のないことと同じことだろうが・・・。本当に悔やまれて仕方ない。
 



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by qunny1130 | 2008-05-01 23:40 | アイルトン・セナ | Comments(8)
5月1日
5月1日






スタート前の表情・・・



 日本時間で1994年5月2日午前3時前に34歳の生涯を閉じてしまった・・・・。イモラの悪夢は決して忘れることができない週末だろう。あれから早や13年が経過してしまった。小生にとってはそんな昔には到底思えない。未だにセナが生きていたら・・・と思ってばかりいる人間だ。

 




4/30のラッツェンバーガーの事故を見ていたセナ



 現在のF1ファンでセナを知らない人は、考えようによっては不幸かもしれない。あれだけの予選でのパフォーマンス、決勝での劣ったクルマでの走りなど、今では、まず観ることのできないシーンばかり浮かんでくる。強いて言えば、一番近い走りをしたのが、去年の最終戦、シューマッハーの決勝での走りだろうか・・・。

 1994年のシーズンは見慣れないブルーのロスマンズカラーだった。開幕当初からファンとして違和感があった。赤のレーシングスーツのイメージが強かったからだ。ブラジルGPでも珍しく単独スピンでリタイア。2戦目の英田でもハッキネンにオカマを掘られてリタイア。

 そして第3戦目だ。1日目にバリチェロが事故で入院、2日目にラッツェンバーガーが事故死、そして3日目だった。今更かもしれないが、2日目の事故でグランプリは中止すべきだっただろう。安全性を再確認して、再度別の時期に開催するべきだった。興行者たちは儲けることを優先させてしまったのだ。

 失った命や時間は決して戻すことはできない。セナが今でも生きているということは、セナを思う人の中で生き続けているということだ。死んだ子供の歳を数えても仕方のないことと同じことだろうが・・・。本当に悔やまれて仕方ない。
 



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by qunny1130 | 2007-05-02 02:40 | アイルトン・セナ | Comments(17)
セナの予選タイム チームメイトとの対比
セナの予選タイム チームメイトとの対比



 セナ生涯の65回のポール・ポジションのタイムは、各年でチームメイトをことごとく大きく凌駕していた。アラン・プロストでさえ、全く歯が立たなかったほどだ。基本的に同じマシンを操るわけなので、タイムに差が出るということは、テクニックやセッティング能力の差とも言える。ただ、ハッキリとイコールコンディションと言えたシーズンは、1985年ロータス・ルノーでの1年目、1988年と1989年マクラーレン・ホンダ、1994年ウィリアムズ・ルノーくらいではないだろうか?



1984年 トールマン・ハート




ジョニー・チェコットとは7勝2敗


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ステファン・ヨハンソンとは2勝0敗


 

1985年 ロータス・ルノー

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エリオ・デ・アンジェリスとは13勝3敗
 



1986年 ロータス・ルノー

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ジョニー・ダンフリーズとは16勝0敗
 
 


1987年 ロータス・ホンダ

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中嶋 悟とは16勝0敗
 



1988年 マクラーレン・ホンダ

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アラン・プロストとは14勝2敗
 



1989年 マクラーレン・ホンダ

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アラン・プロストとは14勝2敗
 



1990年 マクラーレン・ホンダ

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ゲルハルト・ベルガーとは12勝4敗
 



1991年 マクラーレン・ホンダ

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ゲルハルト・ベルガーとは13勝3敗
 



1992年 マクラーレン・ホンダ

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ゲルハルト・ベルガーとは15勝1敗
 



1993年 マクラーレン・フォード

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マイケル・アンドレッティとは13勝0敗


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ミカ・ハッキネンとは2勝1敗





1994年 ウィリアムズ・ルノー

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デイモン・ヒルとは3勝0敗



 チームメイトに対し、これだけの結果を残している。特に素晴らしいのが1985年のロータス・ルノーだ。当時、ロータスチームの実質ナンバーワン・ドライバーであったエリオ・デ・アンジェリスを圧倒して、チームの主導権を握ってしまった。エリオ・デ・アンジェリスも実績のある速いドライバーであったにもかかわらずでだ。そこが凄いと思う。

 マクラーレン・ホンダでも同じで、アラン・プロストに対し、1秒以上の差をつけ、ポール・ポジションを獲得することが多かった。プロストは決勝重視とか言う人も多いが、予選での速さはプロストを圧倒していた。アクセルの全開度も高かったという。



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by qunny1130 | 2007-02-12 20:54 | アイルトン・セナ | Comments(12)
アイルトン・セナのポール・ポジション
アイルトン・セナのポール・ポジション



 生涯ポール・ポジション獲得記録65回のアイルトン・セナ。昨年、ミハエル・シューマッハーに、その記録を塗り替えられてしまったが、F1の在籍年数も違うし、予選方法も違うので、単純な比較はできないだろう。でも、ハッキリ言ってセナの方が予選に関して言えば、はるかにパフォーマンスが上だということだ。理由は説明の必要はないだろう。セナが存命中、シューマッハーはセナからポール・ポジションを奪ったことは1回も無い。



1984年 トールマン・ハート ポール・ポジション無し

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1985年 ロータス・ルノー ポール・ポジション7回
  
01.ポルトガル
02.サンマリノ
03.モナコ
04.アメリカ
05.イタリア
06.ヨーロッパ(ブランズハッチ)
07.オーストラリア(アデレード)

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1986年 ロータス・ルノー ポール・ポジション8回
  
08.ブラジル(ジャカレパガ)
09.スペイン(ヘレス)
10.サンマリノ
11.アメリカ
12.フランス(ポールリカール)
13.ハンガリー
14.ポルトガル
15.メキシコ

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1987年 ロータス・ホンダ ポール・ポジション1回
 
16.サンマリノ

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1988年 マクラーレン・ホンダ ポール・ポジション13回
 
17.ブラジル(ネルソン・ピケ)
18.サンマリノ
19.モナコ
20.メキシコ
21.カナダ
22.アメリカ
23.ドイツ
24.ハンガリー
25.ベルギー
26.イタリア
27.スペイン(ヘレス)
28.日本
29.オーストラリア(アデレード)

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1989年 マクラーレン・ホンダ ポール・ポジション13回
 
30.ブラジル(ネルソン・ピケ)
31.サンマリノ
32.モナコ
33.メキシコ
34.アメリカ
35.イギリス
36.ドイツ
37.ベルギー
38.イタリア
39.ポルトガル
40.スペイン(ヘレス)
41.日本
42.オーストラリア(アデレード)

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1990年 マクラーレン・ホンダ ポール・ポジション10回
 
43.ブラジル
44.サンマリノ
45.モナコ
46.カナダ
47.ドイツ
48.ベルギー
49.イタリア
50.スペイン(ヘレス)
51.日本
52.オーストラリア(アデレード)

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1991年 マクラーレン・ホンダ ポール・ポジション8回
 
53.アメリカ
54.ブラジル
55.サンマリノ
56.モナコ
57.ハンガリー
58.ベルギー
59.イタリア
60.オーストラリア(アデレード)

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1992年 マクラーレン・ホンダ ポール・ポジション1回
 
61.カナダ

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1993年 マクラーレン・フォード ポール・ポジション1回
 
62.オーストラリア(アデレード)

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1994年 ウィリアムズ・ルノー ポール・ポジション3回
 
63.ブラジル
64.パシフィック(TIサーキット・英田)
65.サンマリノ

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 残念ながら1994年サンマリノGPで、ポール・ポジションは65回という回数で途切れてしまった。もし、セナが、この年に亡くならなかったら、10回以上のポール・ポジションは確実だっただろうし、もしかしたら全戦ポール・ポジションという大記録を達成したかもしれない。いずれにしても、普通に引退していれば、100回前後のポール・ポジションという、とてつもない大記録を達成していたに違いない・・・。

 セナが亡くなってから13年の歳月が流れようとしているが、F1のことを考える度にセナのことを思わずにはいられない。シューマッハーが引退してしまったので、リアルタイムでレースした現役選手はバリチェロしかいなくなってしまった。1994年サンマリノGPで大クラッシュしたのがバリチェロだった。

 



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by qunny1130 | 2007-02-11 21:06 | アイルトン・セナ | Comments(8)
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