ホンダ、アホな決断の連続 その3
2008年 12月 09日
以下、報道から。
<ホンダF1撤退>「財政的継続へ努力」…FIAが声明
F1を統括する国際自動車連盟(FIA)は5日、ホンダのF1撤退の発表を受け、声明を発表。「ホンダの撤退発表は、(F1)世界選手権に参加するためのコストが限界に達したとのFIAの懸念を裏付けた」とし、「世界的な景気の失速が、さらに状況を悪化させた。FIAはF1が財政的に継続できるよう努力していく」としている。
撤退したジョーダンがコスワースのエンジンで2003年ブラジルGPで優勝。アロンソのアクシデントもあったのだが、上位にいなければ当然優勝はできなかったわけだ。そのときのドライバーはフィジケラ。巧者フィジケラならではの優勝と言えた。
とは言え、ジョーダンはブラジルGP以降は、まともにポイントも取れないシーズンだったが・・・。BARといえば、ヴィルヌーヴと馬豚のコンビ、日本GPで琢磨が登場し、合計で26ポイントという成績だった。表彰台には手が届かずにシーズンを終えた。
ヴィルヌーヴをクビにして、代わりにやっと佐藤琢磨をレギュラードライバーに据えた。2004年は好成績を収めることができたが、2005年は不正が発覚し、大きなペナルティも受けた。琢磨は不振に陥り、肉揚の暗躍が始まり、チームの戦略にもおかしな場面がいくつも見られた。
それも何故か琢磨に限ってトラブルや燃料を多く入れ過ぎたり、明らかに馬豚を優遇し、琢磨を邪険にしているのが見え見えだった。その頃から、既に日本のホンダではなく、ただ単にイギリス人のチームに成り下がっていた。
そして詳しくは書かないが、例のバトンゲートだ。2004年に1回。2005年に1回。奴はそれを行使している。ホンダが馬豚に執着しているのではなく、肉揚が馬豚に執着しているのだ。
「イギリス人たちのイギリス人たちによるイギリス人たちのためのF1チーム」が肉揚の暗躍によってできあがってしまった。ホンダは単なる金蔓にしか過ぎず、チーム内の日本人の権限はどうみても無いに等しい状況にしか見えなかった。
その後のチームの凋落振りは悲惨だった。2006年は優勝したが、2007年からは3流チームに転げ落ち、サテライトチームであったスーパーアグリにも劣る悲惨さだった。莫大な投資をしているホンダより、予算が遥かに少ないチームの方が良いマシンを用意していた。
琢磨が急な雨でリタイア(クラッシュ?)した時のコメントで
『僕はピットで順番を待ってもいいからピットインしてレインに替えてくれ…っと言ったのに』
と言う悲痛なコメントが記憶にある。
馬豚を真っ先に入れて、琢磨はそのまま放置…走らせた。
馬豚と琢磨の順位もそれほど違ってなかったと記憶。
あん時は腹が立ったゼ(`へ´)
湘南のJOHN LENNONです。
いつもコメントありがとうございます。
携帯から投稿できたんですね。結構携帯から投稿できないっていうメールが多いんですよ(泣)
確かこのGPはベルギーだったのではないでしょう?
シューマッハーにおかま掘って終わりだったと思います。
2005年から露骨なほどの馬豚優遇が始まりましたね。テレビを観てたって分かるほどです。人間的に肉揚だけは許せないですね。スーパーアグリを撤退に追い込んだ主犯の1人だと今でも思っています。
しかし、一番悪いのは、そんなクズみたいな奴をCEOにした本社の者達では?日本人がカッコつけてグローバル企業を気取るより、ハッキリと「日本人のチーム」というスローガンで運営して欲しかったですね。第三期のホンダは全てに中途半端で最低な経営方法でしたね。もう、第四期は無いと思いますね。50年後は分かりませんが・・・(笑)