1994年 ベルギーGP オープニングラップ
2008年 11月 21日
セナが亡くなったシーズン、1994年8月26日~28日のベルギーGPは、今でも印象深くて忘れられない。ベルギーGPは他の年でも名レースが多い。当時の予選方式は、1時間内の空タンク1発出しの純粋な速さを競ったものだ。現在の予選方式より、よっぽどハッキリしてて良い!
1日目も雨、2日目も雨にたたられ大混乱の予選となった。フリー走行ではフェラーリ ジャン・アレジの走行をマクラーレン マーティン・ブランドルが意図的にブロックして、ガレージではカンカンになって怒っていたアレジがブランドルに抗議するシーンも見られた。
そんな雨の予選を制したのが、何とジョーダン・ハートのルーベンス・バリチェロだった!これは凄い快挙と言えた。確かに雨で大混乱だったが、そんな中タイミングを見計らったようにコースに出て行きトップタイムを刻んだのだ!
8月28日の決勝は、前日までの雨とうって変わって快晴となってしまい、非力なハート・エンジンを積んでいるジョーダンで、この高速コースにおいて、そのポジションをキープするのは困難だと言えた。しかし、スタートをバッチリ決めたバリチェロは、最初の難関と言えるラ・ソースを死守した。
この年のスパ・フランコルシャンはセナの事故死という経緯もあり、名物コーナーであったオー・ルージュをシケイン化してしまうという変則コースとなった。バリチェロは、そのオー・ルージュでも順位をキープした。
ラディオンを過ぎ、ケメル・ストレートではエンジンパワーの差がハッキリ出てしまった。後方より、ずっとバリチェロを煽り続けていたベネトン・シューマッハーが、ストレートエンドでオーバーテイク。バリチェロはポジションを落としてしまった。
そして、コース最終区間であるバスストップ・シケインでもフェラーリ・アレジにオーバーテイクされてしまった。そして3位でコースに戻ってきた。当時はそれでも凄いと思ったものだ。雨の予選ではクルマの差が縮まり、バリチェロのテクニックが勝利したとも言えたが、快晴の決勝では勝ち目はなかった。
その後も素晴らしいレースを演じ続けてきたバリチェロだが、現役続行の危機が訪れている。ホンダはバリチェロをクビにするらしい。あの超自己中アホドライバー、馬豚を残してしまう暴挙に出るという。
イギリス人のイギリス人によるイギリス人のためのホンダF1チーム。その恩恵で馬豚は残されるのか?今年唯一の表彰台をゲットしたバリチェロ。超オンボロチームに成り下がったホンダにとって功労者だろう。琢磨を切り、今度はバリチェロを切る。正に政治力を感じてしまう。
そうなったらますますホンダ嫌いになりそうだ。本田宗一郎氏が草葉の影で泣いているのでは?セナ甥っ子を採用したとしても、素直な気持ちでは応援できそうにもない。とにかくホンダのドライバー選択は、ここ数年狂っているのは間違いない。