阿久 悠氏 永眠
2007年 08月 03日
テレビオープニング
2007年8月1日、癌で作詞家阿久 悠氏が70歳で永眠された。70歳で亡くなるには惜しい方だし、まだまだ日本の平均寿命からしてみれば若い死に違いない。昔流行したべストテン番組で歌われた歌のクレジットに必ずと言っていいほど、この阿久 悠という名前が見受けられたものだ。
追悼番組が急遽放送されたのは、残された大きな実績からみても当然のことだろうし、改めてその偉大さを確認することができた。特に小生が小学生から中学生の頃にかけて、つまり具体的な時代と言うと、1970年代中盤から後半だ。この時代の大ヒット曲は阿久 悠氏の曲のオンパレードだった。
テレビエンディングテーマの冒頭シーン
テレビニュースでも何回も報道されたが、当時の全盛はピンク・レディーや沢田研二、更にスター誕生からデビューしたアイドルなど、いろいろなアーティストに曲を提供していた。大ヒット曲は誰でも一度は耳にしたことがあるものばかりだ。例を挙げたらキリがない。それほど凄い人だった。
牧村美樹&不動明(デビルマン)
阿久 悠氏の凄いところはそれだけではない。特に小生と同世代の連中には懐かしい、アニメ作品、実写ヒーロー作品の主題歌にも作品を提供していたのだ。宇宙戦艦ヤマト、ウルトラマンタロウ、ウルトラマンレオ等、まさに小生がリアルタイムで聴いた歌ばかりだ!
そして、このデビルマンのオープニングテーマとエンディングテーマも氏の作品だ。特にエンディング「今日もどこかでデビルマン」はアニメ史上最高の作品ではないだろうか?このエンディングの作曲は都倉俊一氏だ。数年後、あのピンクレディーの曲は、阿久 悠作詞・都倉俊一作曲というクレジットだった。
公式サイト
阿久悠 ウィキペディア
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うちの次男には「悠」の字がついておりまして
ある一定の世代以上の方には、「阿久悠さんの『悠』」で説明させていただいていて、一方的に親近感をいただいていた方だっただけに、ほんとに残念です(>_<)
ご冥福をお祈りいたします。
寂しいですね‥
ご冥福をお祈りいたします。
デビルマン・・・
懐かしいです。かなりはまっていたアニメです。
阿久悠さんは私もスター誕生のイメージが凄く強いですね。
スタ誕では、怖いけれど笑顔の優しいオジサマというイメージでした。
阿久悠さんは、本当に馴染み深い作詞家の方でした。アニメはもとより、当時ヒットしていた色々な曲で名前を見たからでした。まさに巨星堕つ・・・と言うか、作曲家の宮川泰氏が亡くなった時と似た印象を持っています。寂しいものですね。。。
湘南のJOHN LENNONです。
いつもコメントありがとうございます。
お子様に同じ字を付けていらっしゃったのですね。
「阿久悠さんの『悠』」 って説明を受ければ、よほど若い人ではなければ、きっと分かると思います。
小生は歌謡曲のヒットより、やはりアニメやヒーローものの曲で、これだけ歌い継がれる詞を書かれたこと、これこそ凄いことだと思っています。
今の30代以上の世代は、子供の頃から阿久悠さんの詞を聴いて育ったとも言えますね。刷り込みになってますね。
湘南のJOHN LENNONです。
こちらでもコメントありがとうございます。
ぷりんさんと小生は世代的にも近いと思うので、同じような曲を聴いて育ってきているのかもしれません。1970年代が全盛で、ほとんどの歌手に詞を提供していました。ベストテン番組の半分近くを占めたこともあります。ホント凄い人だと思います。
湘南のJOHN LENNONです。
初めてのコメントですね。
ありがとうございます。こちらでもよろしくお願いします。
「スター誕生」の顔でしたね。小生も小学生の頃から「スター誕生」を毎週観ていたので、印象深いですね。ヘッドフォンを片耳だけに付けて歌を聴いていた姿です。
しかし、がんで亡くなる方が多いですね。
湘南のJOHN LENNONです。
もしかしたらアメリカからメッセージをしていただいたのでしょか?インターネットでは世界も一瞬だとは言え、遠いところから本当にありがとうございます。
デビルマンのエンディングテーマは、今でも大好きですね。あのギターのイントロを弾くと、分かる人は分かります(笑)
分かってくれるとうれしいですね。
「デビルマン」も「ウルトラマンタロウ」も印象深い詞なので、今でも本当に歌詞カードなしにフルコーラス歌えます。
湘南のJOHN LENNONです。
いつもコメントありがとうございます。
良い作家が亡くなられてしまうのは本当に惜しいですよね。確かに人間みんないつかは死ぬことになるのでしょうが、いざ現実になると寂しさを感じてしまいます。
宮川さんと阿久さんのコンビは、ヤマトが思い浮かびます。今のタイアップ曲ばかりのアニメソングとは名ばかりの商業Jポップとは一線を画していると思います。
湘南のJOHN LENNONです。
いつもコメントありがとう!
早速ミヤモーさんの記事も拝見させていただきました。
そう!ベストテン番組の半分が阿久悠さんの曲でしたね!
1977年12月ですか・・・。懐かしい時代です。小生は中学3年生でした(歳がばれてしまいますが)。ジュリーやピンクレディーが全盛で、それをリアルタイムで経験できました。
ただ不思議なのは、山口百恵に曲を提供していないのではないでしょうか?あったとしてもマイナーかもしれません。桜田淳子には提供していましたので、それも理由の一つかもしれませんね。
ご無沙汰していました。お久しぶりです!!
TBありがとうございました。
阿久悠さんお亡くなりになって本当に残念です。。
ジュリーの今回のコンサートツアー初日に
阿久悠さん作詞の「時の過ぎゆくままに」を、ジュリーがご唱和下さいと言って、会場のみんなと一緒に歌って、阿久さんを追悼しました。
♪今日もどこかでデビルマン のデビルマンの歌、
あたしも大スキでしたよ。
湘南のJOHN LENNONです。
こちらこそご無沙汰しておりました。
トラバさせていただき、ありがとうございました。
レレさんのブログもよく拝見させていただいています。
コンサートでの追悼シーン、光景が浮かんでくるようでした。
ジュリーは阿久さんの詞の曲が多かったですからね。
やっぱり歌い手として思うことが多かったのでしょう・・・。
素晴らしいコンサートの記事も今後期待してます!
ありがとうございました。
デビルマンもそうだったんですねっ!
知りませんでした。
自分にとって一番身近に響いたのは
やっぱり沢田研二かな?
阿久さんでなければあの人生の機微をポップなメロディに合致させて響かせることは出来なかったかもしれないですね。
森田公一とトップ・ギャランの「青春時代」も当時の自分にはすごく印象深かったです。
或る意味、彼の詞自体が文学ですから・・・
湘南のJOHN LENNONです。
こちらでもコメントありがとうございます。
「青春時代」懐かしい歌です!大ヒットしました。1977年だったと思います。まだ小生は14歳でしたね。同時にジュリーやピンク・レディーの曲も大ヒットしていた時代でした。
アニメやヒーローものの主題歌も阿久さんの詞は印象深いですね。このデビルマンやウルトラマンタロウは、小生が小学生時代にリアルタイムで聴いて歌ったので、決して忘れることができない曲ですね。
演歌は嫌いな小生ですが、石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」や「能登半島」は好きです。郷ひろみや石野真子など、もうキリがないですね。やっぱり本当に凄い人だと思います。