F1からフェードアウトしてしまった高木虎之介 その2
2006年 10月 27日
1997年にF1に行くことができなかった虎之介は、この年もフォーミュラ・ニッポンに残り、チャンピオンとして堂々とF1に行くことを目指していた。前年1996年にフォーミュラ・ニッポンを卒業したラルフ・シューマッハーや中野信治はF1にステップアップしていた。
一方の虎之介は苦戦続き。予選ではポール・ポジションを獲るが、決勝で結果が出ないことも多く、前年からのドタバタした走りは直っていなかった。成績は6位に下がってしまい、ペドロ・デ・ラ・ロサにブッチギリでのチャンピオンを許してしまった。
1998年はティレル・フォードでF1にステップアップした。師匠の中嶋 悟もスポーティング・ディレクターとしてティレル入りした。しかし、この年のティレルは前年のヤマハからフォードにエンジンを変えたこともあり、エンジントラブルが多発し、完走も満足にできるレースも少なくノーポイントに終わってしまった。
それでも予選では中段をゲットすることもあり、関係者の評判も決して悪く無かったという。チームメイトはリカルド・ロセットという、予選落ちも多く、最低の遅いドライバーだった。そのため、虎之介のポテンシャルを測る術がなかったのも不幸な結果と言える。また、BATにチームを売却してしまったことも大きく影響してしまった。
前半はXウィングという空力新兵器のおかげで、マシン自体もそんなに悪いものではなかった。このXウィングはフェラーリにも採用された新アイディアだったが、シーズン途中で使用禁止となり、その後マシンのパフォーマンスは向上することは無かった。予選最高位は13位。決勝最高位は9位であった。16戦中8戦完走ノーポイントという成績が残っただけだった。