F1からフェードアウトしてしまった高木虎之介 その1
2006年 10月 26日
佐藤琢磨が出てくる4年程前に高木虎之介という速いドライバーがいた。全日本F3000やフォーミュラ・ニッポンではチャンピオンに成なれなかった。しかし、それでも予選での速さは凄いものがあったし、レースでの速さも当時では一番だったかもしれない。ただ少し強さに関して正直疑問を持ったことも事実だった。
1995年、全日本F3000で最終戦鈴鹿130Rで他車を絡んでコースアウトし、その年のチャンピオンには成れなかった。それでも、富士スピードウェイで星野一義をオーバーテイクしたシーンは凄い奴が出現したと思ったものだ。当時の虎之介は凄い勢いだった。
1996年、名称が全日本F3000からフォーミュラ・ニッポンに変わった。テレビ放映も力を入れていた時期だ。ドライバーもスター性の高い選手が多く、この年はラルフ・シューマッハーがチャンピオンになった。星野一義、服部尚貴、ラルフとの三つ巴だったが、強いレースをしたラルフがチャンピオンになり、その報告をF1日本GPのために来日していた兄ミハエルに携帯電話でしていたシーンが印象深い。
この年の虎之介というと、確かに予選での速さは一番速かったと思う。しかし、他車との接触が多く、つまらないミスで止まってしまうレースもあった。予選でラルフは虎之介より、ずっと後方位置だったにもかかわらず、安定した走りで結果に結び付けていた。
他に有名どころとしては、ペドロ・デ・ラ・ロサ、中野信治、ノルベルト・フォンタナ、本山 哲、ミハエル・クルム等も参戦していて、大御所の星野やベテラン鈴木利男を加えて、結構面白いレースが行なわれ、そんな強者たちの中で虎之介は戦っていたのだ。結果的に成績は4位だった。前年が実質1年目にもかかわらず2位だったので、逆に成績を落としてしまっている。
この年の虎之介の走りは、何か焦ってるような落ち着きのない走りだった。スタートで絡んでのリタイア、レース途中での接触によるリタイア等、イライラによる暴走気味の走りも見受けられたと記憶している。当時のビデオは全戦録画してあるので、機会があれば再度観てみたいと思っている。
当時、虎之介は、日本人として片山右京や井上隆智穂に次ぐ、F1レギュラー・ドライバーの大本命だったが、結局その座は中野信治に奪われてしまった。小生のような素人が観ても、虎之介の走りはドタバタで落ち着きが無く、中野の方が確かに堅実だったような気がする。