もし、セナが生きていたら・・・
2006年 08月 07日
小生の勝手な主観で、1994年サンマリノGPでセナが事故で亡くならず、幸いリタイヤで済んで健在している世界を想像してみた。黒い字の年度は健在だった年だ。青い字の年度は亡くなった1994年以降だ。
シューマッハー ヒル ビルヌーブ ハッキネン セナ
1991年 0勝→0勝 0勝→0勝 0勝→0勝 0勝→0勝 7勝→7勝
1992年 1勝→1勝 0勝→0勝 0勝→0勝 0勝→0勝 3勝→3勝
1993年 1勝→1勝 3勝→3勝 0勝→0勝 0勝→0勝 5勝→5勝
1994年 8勝→5勝 6勝→3勝 0勝→0勝 0勝→0勝 0勝→7勝
1995年 9勝→5勝 4勝→2勝 0勝→0勝 0勝→0勝 0勝→10勝
1996年 3勝→4勝 8勝→2勝 4勝→0勝 0勝→0勝 0勝→11勝
1997年 5勝→7勝 0勝→2勝 7勝→0勝 1勝→0勝 0勝→8勝
1998年 6勝→6勝 1勝→1勝 0勝→1勝 8勝→5勝 0勝→3勝
1999年 2勝→5勝 0勝→0勝 0勝→0勝 5勝→3勝 0勝→8勝
勝利数は1991年から1999年まで、9シーズンの合計だ。ビルヌーブは4シーズンのみだ。左側の数字が実際の勝利数、右側の数字がセナが存命だと仮定して想像してみた。
シューマッハー合計 35勝→34勝
ヒル合計 22勝→13勝
ビルヌーブ合計 11勝→ 1勝
ハッキネン合計 14勝→ 8勝
セナ合計 15勝→62勝
シューマッハーの勝利数は、セナが健在でも不在でも、それほど変わらない。それはシューマッハーがセナに匹敵する才能の持ち主だからだ。だだし、他のドライバーは落ちる。セナが存命なら、ヒルやビルヌーブの勝利の殆どはセナが持っていっただろう。
セナは39歳まで現役を続けていて、最後のシーズンは1999年となる。セナは1998年から夢であったフェラーリに移籍し、1999年チャンピオンを獲り引退する。一方、シューマッハーは1996年以降もベネトンに残り、最強ウィリアムズのセナと一騎打ちを演じ続ける。因果は玉突きゲームの様相となり、ビルヌーブのウィリアムズ加入は1998年からとなる。ヒルは1998年までウィリアムズに在籍し、そのまま引退する。
セナは1994年から1997年まで4年連続チャンピオンとなる。フェラーリに移籍した1998年だけは、チームとクルマに馴染まずにチャンピオンには成れなかったが、翌年1999年には、フェラーリを常勝チームに改革することに成功する。
シューマッハーはフェラーリに行かず、1997年までベネトンに残留するが、ルノー撤退のため、1998年にマクラーレンに移籍する。シューマッハーとハッキネンの黄金コンビだ。そして、移籍1年目にして初チャンピオンとなる。一方、ウィリアムズは、セナがフェラーリに移籍したため、空いた席にはビルヌーブが座ることになり、引き続きヒルも残留する。このコンビで1998年を戦うこととなるのだが、ルノー撤退の代償は大きく、以前のような常勝チームではなくなっている。
1999年、セナ現役最後のシーズン、最大の敵は、前年チャンピオンに輝いたシューマッハーだ。最強マクラーレンもシューマッハーとハッキネンの確執が発覚し、チーム内はゴタゴタしている。その一方、フェラーリのセナはオンリーナンバーワン体制で、セカンドドライバーは、当時若手ナンバーワンのジャンカルロ・フィジケラだ。5年ぶりのイタリアン・フェラーリドライバーだ。
最後までシューマッハーと死闘を繰りひろげる。シューマッハーは怪我もせず、フルシーズン出場した。そして、僅差でセナがチャンピオンを獲得することに成功した。セナはフェラーリにコンストラクターズ・タイトルとドライバーズ・タイトルをプレゼントして、F1ドライバーとしての現役生活に終止符を打ったのだ。
一人の偉大な人物が存在するのとしないのとでは、後々の歴史が全て大きく書き換わってしまう。それだけ周囲に大きな影響を与えている人物だった。恐らく生涯のポール・ポジション記録は100回程度に届いていたに違いない。通産勝利数も90勝に手が届くほどの数となっていただろう。コースもつまらないシケインが多い、最近のコースレイアウトとは違い、かつてのタンブレロのような高速コーナーも多数健在だったはずだ。
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何が起こったか判らなかったですもの。
たらればになっちゃいますが・・・・。
やっぱりフェラーリで終わってほしいですねー。
至極賛成したします。
しかし、ハンガリーのシューは残念やったー・・・。
湘南のJOHN LENNONです。
小生のブログではコメント本当にありがとうございました。
またトラバもさせていただき、こちらもありがとうございました。
セナが生きていたらって、最近よく考えます。シューマッハーも好きなドライバーですが、昔は一番嫌いでした(笑)生意気でしたからね。今のアロンソより生意気だったと思います。あのタンブレロの事故以来、1994年は毎日セナのことばかり考える日が続きました。その年、確か7月か8月にセナの追悼コンサートがあったのですが、それも当然観に行きました。
レーザーディスクやミニチュアカー等、アイテム類を買いまくったのですが、それは今でも大切な宝物ですね。
87年、88年のビデオも持っています。
1988年日本GPでは、今宮さんは泣いていましたね。
1994年、あの事故が単なるアクシデントでしたら、セナは苦戦しただろうけど、前年のプロストと同じように、中盤から連勝街道で逆転チャンプになっていたのは間違いないと確信しています。
湘南のJOHN LENNONです。
いつもコメントありがとうございます。
あのビデオは最近ですが、VTRからDVDに永久保存版として残しました。WOWOWで再放送したときのテープだったので、保存状態も良く、画質も非常に良いので今見ても当時の状況がよみがえってきます。
ただ何回も見たくないですね。あの激突はすごかったです。後から来た、ベルガーや片山右京も避けるのに必死でした。
タンブレロの高速コーナー、現在はシケインに変わってしまっています。本当は昔のレイアウトで復活して欲しいですね。