茜雲 総集編―日航機御巣鷹山墜落事故遺族の20年
2006年 06月 09日
1985年(昭和60年)8月12日18時56分、日航123便ジャンボ機が、相模湾上空で尾翼が破壊されてしまい、西に向かうはずだった飛行機が迷走の果て、北方向の群馬県の御巣鷹山中に激突、520名(胎児も含めれば521名)の方々の命が失われてしまった航空機史上最悪の惨事の遺族が20年に渡って書き続けてきた文集をまとめた本だ。
8・12連絡会と呼ばれる「日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故被災者家族の会」は、事故の4ヵ月後、1985年12月7日に発足した。それ以来、途切れることなく地道に活動し続けてきた。1986年以降、毎年文集「茜雲」を発刊、2005年にちょうど20年となり、この総集編が発刊されたのだ。
この本の表紙のデザインは、123便の乗客が最後に見たかもしれない真紅に染まった夕暮れの空と墜落現場の山々をイメージしたもの。約30分に渡る迷走中、乗っていた乗客達の心境は想像の域をはるかに超える。
文集の内容は、遺族の想いを綴ったものだ。この事故は絶対に忘れてはいけない事故だと思う。寄稿されている数々の文章は心を打つものばかりだ。20年間の遺族や友人達の想いが、どれだけ大きいものであるか再認識させられる。この本は老若男女問わず、あらゆる世代の人に読んで欲しいと思う。
この大惨事を知らない人もいる。最近の若い人等はそうかもしれない。日航機は、この事故までは、10年に1~2回の割合で大きな事故を起こしていた。ただ、今飛びかっている飛行機の安全は、この事故を境に大きく進んだことも事実だ。521名の大きな犠牲の上に成り立っていることを新しい世代にも伝えていかなければならないと思う。
8・12連絡会事務局長の美谷島邦子さんの手記も綴られている。二男の健君(当時9歳)の話は、去年テレビドラマにもなっている。このドラマは涙なしには見ることができなかった。自分の愛している子供が不慮の事故で亡くなり、その遺体も肉片の一部しか見つからないとしたら・・・。普通ではいられないはずだ。
この大惨事は、実際は解決していない。関係各法人は不起訴処分となり、事故調査委員会は曖昧な報告書で終わらせてしまった。再調査をして、その日に何が起きたのか、真実を明白にする必要がある。それには国民の大きな意思が重要だと思う。この事故を風化させることは、また次の大きな事故につながりかねない。ここ数年の日本航空の報道を見聞きしていると、それを痛切に感じてしまう。
徒然日記
みちょのあっちこっち巡り
『茜雲 総集編 日航機御巣鷹山墜落事故遺族の20年』|誰も信じてくれない、本当にあった不思議な話。
30代★へこたれる前に読むブログ。
活字三昧日記
HAPPY DREAM
たるたるにっき
JIROの独断的日記エキサイト版
Tomoaki's WEBLOG
aipresents!! 賢者の贈り物 - ダイヤモンドは砕けない - 日航機墜落事故から20年
N@Blog: 御巣鷹山日航機墜落から20年
やっぱりなぁ・・・さすがです。
いい記事書いてるm(__)m
絶対に忘れてはいけない、
風化させてはいけない事故でしたね・・・
黙祷
湘南のJOHN LENNONです。
いつもコメントありがとうございます。
昨日が8/12でしたね。
毎年、この日は何とも言えない気持ちになります。
確か1985年は猛暑で、ものすごく暑い日が続いて
いたと記憶しています。
墜落して散らばった遺体の腐敗も凄まじいものが
あったようです。
特に看護師さんたちの努力には頭が下がります。
日本航空も会社自体が批判されていますが、
組合も問題があったと思います。
高給をもらっているのにもかかわらず、世間から
反感を買ったストライキの多発。
労使ともお互い批判できないと思います。
ストライキが多発していたのは、ずいぶん昔ですが、
あんなことをしていたから世間から支持されず、
金・金・金で肝心な安全がおろそかにされたと言っても
過言ではないと思っています。
ただ、この事故で少しは昔より良くなったとは思いますが・・・。